『黒匣のミチカ』 Another story
 
Twin Suicide


<生徒会役員>
周 道佳(2) 桜木 宮乃(2) 夕凪 朋(1)

<その他>
加々美 葵(1) 加々美 翠(1) 佐田 勇一(teacher)


 1

 いつの間にやら春だった。
 ついこの間まで凍みるように寒かったのだ。吹く風の冷たさは、まだ冬の気配を若干有してはいたものの、それでも確かにゆるやかに季節は春へと移行していた。
 休日の生徒会室。二人の生徒会役員――桜木宮乃と夕凪朋は、何を話すでもなく向かい合ってお茶をすすっていた。
 午後の二時。 生徒会室の扉が開き、二人は顔を上げた。
「おはよう、二人とも」
 周道佳は、約束の二時ちょうどに現れた。
「おはよ。今朝の新聞、事件のことが載ってたよ」
 そう言って、宮乃は机の上の新聞を道佳の方に滑らせる。

「双子の女子生徒、学園屋上から飛び降り自殺」

 その見出しを見つけると、道佳は静かに記事を読み始めた。


 亡くなったのは双子の女子生徒――姉の加々美翠と、妹の葵。朋と同じ一年だった。
 昨日の早朝のこと。まだ六時台で生徒の登校するような時間帯ではなかった。そんな時刻に、葵は無人の屋上に上がり、そこから飛び降りたという。屋上は普段から自由に出入りが可能だった。
 そのとき偶々、それを見かけた男子生徒がいた。こんな早朝に登校しているのはどんな男かと申せば、やはり少し変わり者で、慌てふためくこともなく彼女の死亡を確認、そして人を呼びに走ったという。ケータイは携帯していなかったらしい。
 たった数分だった。しかし彼が人を連れてその場に戻ると、死体は忽然と姿を消していた。流れ出た血液と、葵の通学鞄だけがその場に残っていたという。
 そして死体は、一日経った今もまだ見つかってはいない。
「死体を見たのは彼だけだ。嘘をついている可能性も考えられるな」
 道佳は誰ともなしに呟いた。それから問う。
「双子というけど、二人は一卵性の双子なの?」
「そうです」
 朋が答えた。
「外見は非常に似通っています。初対面では見分けがつかないかもしれません」
 だから、死んだのは翠か葵か、それが問題になったという。その場に葵の通学鞄が残っていたことから葵だろうと考えられたが、真偽は定かではなかった。
 もう一方が見つかれば、消去法でどっちが死んだのかは分かる。しかし片割れは見つからなかった。

 その日の夕方、ようやく加々美の片割れは見つかった。
 しかし、その発見は決して喜ばしいものではなかった。
 生きた姿で発見されなかったから。
 それは、加々美翠の死体だった。
 同じ屋上から飛び降りたようだった。妹の死を追うようにして――。 


 というのが、道佳たちの知る自殺事件の概要である。
 死体の捜索は今もなお続いているが、死体の消失を除いては不可解な点もなく、自殺として処理される方向のようだ。
「なお、二人には性的暴行を受けた疑いがある……?」
 記事の終わりには、そのようなことが書かれていた。本当なのかと道佳は疑う。この情報は初耳だった。
「疑い、って書いてあるね。でも、火のない所に煙は立たない」
「ふむ……」
 加々美さんは普段から明るくて、とても自殺をするような子ではないと、生前親しかった生徒達は口を揃えて言ったという。しかし記事に書かれていることが本当なら、それは自殺するのに十分な動機だ。
「でもさ。まだ葵さんは見つかっていないんでしょ? どうやってそんなこと分かるのかな」
「知るか。疑いの域を出ないから、疑いと言ってるんだよ」
「ただ疑わしいってだけで、そんなことまで書くかなぁ」
「気になるなら、それを書いた記者にでも聞くことだな」
 などと、道佳と宮乃は話していた。その横で、何やら考え込んでいる様子の朋。さっきからずっとそうだ。
 しかし突然、何かを決心したかのように二人を見ると、朋は口を開いた。
「自殺した二人、友達だったんです。葵は私のクラスメートだったんです」
 溢れ出る感情を抑えるように、朋は言った。
「もし、その暴行がきっかけで二人が自殺したのなら――私、許せないです」
 道佳たちは知らなかった。朋と二人の関係。そして朋の悲しみを。
「私、その男を探します」
 はっきりと朋は言った。
「何ができるでもないですが――それでも、何かせずにはいられないんです」
 普段、朋がこうした主張をすることはあまりなかった。自分を抑えて、他人の幸福を考える。そんな子だったのだ。だからこれは、彼女なりの一大決心なのかもしれなかった。
 道佳は口を閉ざして朋を見つめ、そして言った。
「私も手伝うよ。もちろん、宮乃もだ」
 こうして三人は、その男を探すことになった。
 宮乃は強制参加だった。



 2

 生徒会室を後にした三人は、朋を先頭に学園の廊下を歩いていた。どこに向かっているのかも知らぬまま、二人は朋の後ろ姿を追いかけた。
「手伝うとは言ったけど、その男を特定することなんて可能だろうか。何か手がかりがあるの?」
 朋の背中に話しかける道佳。あくまで現実的なスタンスだ。朋は後ろを振り向き、先輩二人を視界に入れた。
「彼女たちは学生寮に入っていました。あまり外出することもなかったと聞きます」
 よって、その男は学園の内側にいるのではないか。そう朋は言う。
「関係がありそうなのは、クラスメート、美術部、それから寮の人間。その辺りでしょうか」
「二人は美術部だったんだ?」
 そうです、と朋は答えた。
 もう、十分程度は歩いている。ゴールが分からないのは地味にストレスだ。それに痺れを切らしてか、宮乃は聞いた。
「ともち。私たち今、どこに向かっているの?」
 ともちとは、朋の愛称。使用者は桜木宮乃ただ一人である。
 宮乃の質問に朋は前を向いたまま答えた。
「教室です」
 早足の朋。それに遅れまいと、二人もまた早足にならざるを得なかった。その歩みは、何かを急いているようだった。

 教室は閑散としていた。今日は休日、当たり前といえば当たり前だ。
 部屋の窓が開いていて、教室は若干冷えていた。風がカーテンを揺らしていた。
 教室には長い髪の女子生徒が一人。髪の短い朋とは対照的だ。スケッチブックを手にしたまま、窓の外をぼんやりと眺める彼女。絵になる光景だった。
「しい、おはよう」
 朋は親しげに、その「しい」という子に駆け寄っていった。
 話しを聞くだけなら一人でもいいだろう。道佳と宮乃は教室の外で待つことにした。

 休日の廊下。非日常的な空間だった。
 この学園には千人近い数の生徒が在籍し、休み時間はやかましいことこの上ない(道佳は常々、そういった苦言を漏らしていた)。その生徒達が誰一人としていない廊下。異様な静けさだった。
 二人は廊下に突っ立ち、朋を待つ。
「私たち、手伝えることあるのかな」
 宮乃が問う。当然の疑問だった。
「まぁ、そういうな。朋のこと、心配じゃない」
 道佳はそう言って廊下の窓を大きく開いた。少し冷たい風が廊下の淀んだ空気を押し流した。
 窓の前に頬杖をつき、道佳は空を眺めた。雲一つない快晴だ。しかし、あちらこちらに暗雲立ちこめるような学園の現状には、あまり似つかわしくない空だった。空々しいブルーだ。
「見つかりやしないと思ってるでしょ」
 宮乃は何か心配そうな表情をしていた。
「もしその人が見つかったらどうする? その人を憎んでも、ともちは救われない」
 道佳は気怠げに空を見ていた。つられて宮乃も見る。面白いものなんて何一つない。道佳は目を逸らすことなく、口だけを動かした。
「私たちが止めても、朋はやるつもりだったと思う。朋が納得するまでやるしかないよ。私は、危ない方向に行きそうになったら止めるだけだ」
 宮乃は釈然としないような表情でそれを聞いていた。
 外からは、微かに吹奏楽部の演奏が聞こえていた。どこか遠くで――。



 3

 道佳たちの通う学園。広大な敷地を有する私立学園で、中等部と高等部が存在する。
 高等部の校舎は三つの棟により構成され、音楽室、物理室などの特別教室とクラスルームは別の棟にある。移動には結構な時間を要し、場合によっては休み時間をフルに使わなければ授業に間に合わないから中々過酷だ。小走りで移動する生徒の姿は、もはや平和な休み時間の一風景だった。
 三人は教室を後にすると、朋を先頭に、またどこかへ向かって歩いていた。
 朋のクラスメート「しい」は、一人の男の名を上げたという。
「佐田勇一。美術の教師です」
 道佳と宮乃は、その教師を知らないようだ。朋は話を進める。
「佐田先生は、二人とやけに親しげにしていたらしいんです」
「親しげに、か。そのぐらいは別段おかしいことじゃないと思うけど」
 道佳は言う。しかし、少し程度が違うのだと朋は言う。
「生徒と教師という関係をこえた親しさを感じたんだそうです」
 なるほど、と二人は頷く。
「そして、二人が死んだその日から、佐田はおかしくなってしまいました」
「おかしくなった?」
 オウム返しの宮乃。はい、と頷き、朋は続ける。
「始めは悲しみでした。親しげにしていたし無理ないことだと生徒達は考えました。しかし次第に何かに怯えたり突然癇癪を起こしたりと奇行が目立つようになり、今日に至っては、亡霊を見たとか言い出して話もまともに通じないんだそうです」
「確かにそれは怪しいな」
 道佳は頷く。
「何か疚しいところがあるから、怒りを振りまき、誰かに責められていると感じるんだと思う。亡霊もその延長かもしれない」
 道佳は言った。分かるような分からないような、と宮乃が言う。
「で? ということは、私たちは美術室に向かっているの?」
 道佳の問いかけに、朋は拳を握りしめて答えた。
「その通りです。佐田先生に話を聞きに行きます」
 ちゃんと話しになるのかなぁ、と後ろで宮乃が呟く中、朋は何もない廊下の消失点を見つめて歩みを進める。



 4

 美術室には人だかりができていた。
 いったいどこから湧いて出たのか。群がる生徒達は誰もが平静を失っている。何かあったのだ――。
「ちょっと見てくる」
 道佳はそう言い、生徒達の作る波に入っていった。生徒達をかき分けかき分け、道佳は前進していく。それに遅れまいと二人も続いた。
 押しつ押されつ、ようやく道佳は扉の前に辿り着いた。扉の前には男子生徒が陣取っている。興味津々の割に、中に入る気はないらしい。背の低い道佳は、男子の肩ごしに美術室を見た。

 赤――。床の血だまり。包丁を突き立てられた、男の死体。
 
 赤の色彩に目が眩んでか、道佳は目を押さえてよろめいた。
 背中を押された。誰かは分からない。前に押し出されて、道佳は一人、美術室に吐き出される形となった。
「う……」
 思わず声に出る。画材の臭いと血の臭いが入り混じった空気。道佳は顔をしかめた。
 部屋の真ん中に横たわる、一人の男。腹に突き立てられた包丁がやけに目立つ。男は多くの刺し傷を有していた。憎悪だろうか。ただ相手を死に至らしめるだけなら、ここまで執拗に刺す必要もないのだ。
 何も描かれていないキャンバスに、返り血の赤が塗られていた。
「ひどい……」
 道佳の後ろで宮乃が呟いた。
「先輩。あれが佐田先生です」
 朋は言った。そうか、と道佳は頷いた。
「出よう」
 そう言って、道佳はまた生徒の波に入っていった。
 道佳を追いかけようとして、宮乃はふと止まる。朋が佐田を見つめたまま、動かない。
「ともち、行こう?」
 宮乃は手を差し伸べる。朋はそれを取った。
 朋の手は、小さく震えていた。
 宮乃はその手を強く握り、部屋の死体に背を向けた。



 5

 学園前のプラットホーム。休日で時間も遅かったので人の姿はほとんど見当たらなかった。
「暗くなっちゃったね」
 宮乃が言う。校舎を出たときは、まだ夕日が顔を出していた。それがどっぷりと沈み、辺りはすっかり暗くなっている。
 あれから三人は一度生徒会室に戻った。そして机についたが、何を話すでもなく、それぞれ何か考え事。いつの間にやら夕暮れの空になっていたのだった。
 ふと道佳は、ホームの端に佇む一人の女子生徒を見た。
 反対側のホームを見ているというよりは、虚空を見つめている。
 道佳は何か言おうとして、口を閉じた。朋が何かに怯え、震えていたから。
「どうしたの、朋?」
「あ、葵……」
 ホーム端の女子生徒を見て、朋はそう言った。声になった言葉はそれだけだった。
 宮乃に支えられる朋を一目見ると、道佳は彼女に歩み寄っていった。宮乃と朋も、ゆっくりとそれを追いかける。
 道佳は彼女の横に立った。低身長の道佳は、彼女を見上げるようにして言う。
「あなた、加々美葵さん?」
 彼女は道佳を見た。端正な顔立ちに似合わず、その瞳は死んだように冷たかった。
 朋と宮乃は、ようやく早足の道佳に追いついた。
「葵なの……?」
 朋は言った。彼女は顔を背ける。朋は彼女に駆け寄った。
「葵。どうして……」
 目を大きく見開き、おどろく朋。
「葵さんなのね?」
 道佳の問いかけに朋は頷く。頷いたが、納得はしていない。そんな表情だった。

「佐田先生を殺したのは、葵さん、あなた?」

 道佳は唐突にそう言った。宮乃と朋は驚く。
「何故、そう思ったのですか?」
 葵は口を開いた。透き通った声だ。しかしその声に、学生特有の快活さは微塵も感じられなかった。
「スカートに血がついてる」
 道佳は、葵のスカートの一点を指さした。なるほど、と彼女は微笑む。
「でも、加々美葵は死にました。幽霊が包丁を持って人を刺したりなんてこと、できますか?」
 と、葵。道佳は笑った。
「あなたは、佐田先生が包丁で刺し殺されたことを知っている。どうしてそれを知っているのか。あなたが犯人だから――」
 それを聞いて、今度は葵が笑った。
「穴だらけのロジックですね。でも――」
 笑った表情のまま、葵は言った。

「そうです。私が殺したんです」

 そんな、と朋は項垂れた。
「諦めが早いのね」
「潔いと言って頂きたいです」
 葵は言った。そして何かを促すように道佳を見る。それに応えるように、道佳は自分の考えを話し始めた。
「死体は消えた。発見した男子生徒の主張を信じるなら、それは確かに死体だった。しかし死者は歩けない。なら、誰かが動かした可能性が考えられる」
 そうだとすると、死体を動かしたのは誰か。道佳は言う。
「葵さん、あなたが動かした」
 待って、と宮乃は言う。
「飛び降りたのは、葵さん、翠さんの順でしょ? 消えたのは葵さんの方だよ」
 道佳は、後ろの宮乃を振り返ることなく、葵を見据えたまま話した。
「死体は消えてしまった。よってそれが葵さんだったのか、翠さんだったのか、それについては確定されていない。ただ夕方の死体が翠さんだったから、消去法で葵さんとされただけだ」
「一人目は葵さんじゃないの……?」
「そう。最初に飛び降りたのは翠さんだ。そして葵さんは翠さんの死体を回収し――」

「その日の夕方、もう一度落としたんだ」 

「そ、そんな……」
 信じられないといった表情の宮乃。朋は目を瞑って俯いたまま。見たくない、信じたくない――。
「あなたは亡くなった翠さんを見つけた。発見者が人を呼ぶためにいなくなると、あなたは思いつきを実行すべく翠さんの体を担いで運んだ。自分の鞄をその場に残して」
 葵はやはり笑っていた。楽しいのか、嬉しいのか、あるいは悲しくて笑っているのか。
「そして再度自殺を演出することで加々美葵が死んだかのような状況を作り上げた。社会的に加々美葵は死に、社会的役割を失った「幽霊」だけがこの世に残った。そしてあなたは佐田先生を殺した。翠さんの復讐を遂げるために」
 証拠など、ないに等しかった。直観だけの推理。言いがかりと言われればそれまでだった。
 しかし葵は頷いた。その通りだと、道佳の説を認めたのだった。
 通過電車のアナウンスが鳴る。遠く向こうに電車の光が見えていた。
「許せなかったんです。佐田に暴行を受けてから、姉さんは毎日泣きました。そして最後は自殺。私はそれを見ていることしか出来なかった」
 葵は笑いながら、涙を流した。
「佐田にとっては、私と姉さんの違いなんてどうでもよかったんです。偶々姉さんが暴行を受けたけど、それは私だったかもしれない。そうなったら自殺をしたのも私でした。だからこれは、私自身の復讐のようにも思えたんです」
 葵は、そう言った。
「でも本当は、ただ復讐するだけならこんな小細工は必要なかったんです。結局私は、自分の保身のために姉さんの死を利用した」
 こぼれ落ちる涙も拭わず、線路に向かって歩き出す葵。電車はもう近くまで来ていた。
「ごめんなさい、姉さん」

 ――さよなら、朋。

 葵の体がふわりと飛んだ。
 朋は走る。
 すんでのところで葵の手を掴み、ホームの内に引き込んだ。
 轟音と共に、朋の目の前を通過する電車。
 葵は無事だった。
 倒れた葵を、朋は座って見下ろしていた。
「なんでよ。死なせてよ……」
 葵の目の前には、朋の悲しげな表情。しかしそこには強い意志も感じられた。
「死なないでほしい。私は」
 朋は言った。
 それは利己的な要求だった。死にたい葵を助けたことも、ほかならぬ朋のエゴだった。
 それでも朋は言った。
「私の目の前で――死なせたりなんかしない」 
 
 (了)