つくもです。
今日は推理ゲームのお話。
 
(ここでは、プレイヤーが推理することをゲーム性として組み込んでいるゲームを「推理ゲーム」と呼ぶことにします)

数多ある推理ゲーム。
傑作もあれど、何かと上手くいっていない作品が多々あるように思うのは僕だけではないはず。
推理小説好きのゲーム好きにとって、プレイヤーが自由に情報収集を行い、自分で推理して真相を導くゲームというのは一つの夢です。
しかし、いざ推理ゲームを手にとってプレイしてみると、どうしても気になる点、ストレスを感じる点が出てきます。
推理ゲーム制作の難しさはどこにあるのでしょうか。
推理ゲームを作る身として、少し考えをまとめてみようと思います。

そうです、長いです(笑)
お付き合いいただけたら嬉しいです。


推理小説、とりわけ「本格」と称されるミステリの中には「読者への挑戦状」が提示されるものがあります。
「ここまでの情報で真相を導き出すことが可能である」ということを明示してやることで、そこにささやかなゲームが発生します。
読者は答えを自分の中でまとめた上で、次のページに進み、答え合わせをするわけです。
しかし、答え合わせは各自行うものであり、そこに外部への入出力はありません。
それに対し、ゲームは入力に対して反応を返すメディアです。
これが本やアニメなどにない、ゲームというメディアの強みだと思います。

しかしながら、ゲームの中に小人が入っているわけではないので、プレイヤーの多様な推理にすべて反応を返すことはほぼ不可能です。
よって、ゲームシステムとして入力の方法を限定する必要が生じます。
選択肢による分岐であったり、集めた情報をどう使用するかであったり、といったことですね。
そのゲームシステムとしての推理の入力方法がうまく機能していること。
これが推理ゲームにとっては大切なことだと思うのです。

上手くいっていない例を挙げてみましょうか。
例えば、「プレイヤーが推理するゲーム」なはずが、「情報探しゲーム」とか「フラグ探しゲーム」になってしまうとか。
じっさい、こういうゲームは多いように感じます。
こうなってくると、推理がしたくて推理ゲームを買った人は「おれに推理をさせろ」と言いたくなるはずです。
あるいは、激しく面倒なシステムになってしまっているとか。
わかっているのにシステムが受け取ってくれないとか。
ここに挙げた例はごくごく一部ですが、ともかくそのような問題が少しでも残れば、遊ぶ人にストレスを与えることになるのですから、大変なことですよね。

この他にも、推理ゲームは問題を抱えます。
難易度の感じ方に個人差があるという点。
プレイヤー自身が謎を解くため「名探偵の天才的推理によるおどろき」を得ることができなくなってしまう点。
等々。

このように、何かと悩ましいところの多い推理ゲーム。
しかし僕は、推理小説が好きですし、ゲームが好きです。
僕の青春の多くは、この二つに費やされてきたのです(幸か不幸か?)。
だからこそ、この二つをきれいにつないだものを作りたいのです。
『黒匣のミチカ』で、このような問題への僕なりの答案を示せたらと思います。
ということで、未熟者のアマチュア作品にはなりますが、興味ある方は何卒よろしくおねがいします。


<傑作推理ゲーム紹介コーナー>

最後に、傑作推理ゲームの紹介でもして終えようと思います。
どれも、推理ゲームとしてのシステムもさることながら、ストーリーなども極めて質が高いと思います。
有名なので紹介するまでもないかもしれませんが、推理ゲームをやったことない方が少しでも興味を持ってくれたら、という想いで紹介してみます。

『かまいたちの夜』
プレイヤーが真相に辿り着けばクリアできるのに、何度も何度もバッドエンドに落ちてしまう。「あなたのせいで、死体が増える」のキャッチどおり、プレイヤーの推理がゲーム性にしっかりとつながっている傑作。(真かまいたちの夜やってないな、Vitaか……)
 
『逆転裁判』
法律のゲームではなくて、法廷という場を借りて事件の真相を暴いていくゲームです。恐ろしくうまくできたシステム。一作品に四話ぐらいが収録されていますが、どれもしっかりミステリしていて面白いです。
 
『御神楽少女探偵団』
「推理トリガー」なる画期的システムで有名なシリーズです。ここは重要そうだ、という発言でトリガーを引くのです。ちょっと猟奇的で、大正浪漫なので、好みが分かれるところもあるのかもしれませんが、個人的にはおすすめです。


――と、色々書いていたら長くなってしまいました。
最後まで読んでくれた方に感謝!
ではまた。